ほえほえ日記
〜フォントサイズ「小」で綺麗に見えるように書いています〜
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さて、今日は、つい最近世界遺産に登録されたばかりの石見銀山へと向かいます。
ホテルの朝食は満足のいくもので、多少部屋の暖房が効きすぎたというのはありましたが、まあまあ満足出来ました。
予報通りにあいにくの曇り空。雨も少し降るとの予報。
あまり雨に当たらないように祈りつつ、ナビ様の目的地に、石見銀山を設定して出発です。
途中道の駅に立ち寄りました。
キララ多岐(たき)というところです。
ここは期待通りの道の駅で、物産やレストランがありました。
ひと息着くために、道の駅の裏手に広がる日本海へ。夏は海水浴場になるらしいです。写真左は、道の駅から眺めた日本海の風景です。
どうやら無花果(いちじく)が特産品のようで、無花果を使ったジャムやらお菓子やらがいっぱい並んでいました。
せっかくなのでいちじくソフト(写真右)をいただきました。お値段¥250−也。
ほんのり甘くて、しばらくするといちじくの風味が出てきて、なかなか美味しかったです。(天気が良ければもっと美味しく感じたかも。ちと、寒かった(^_^;)
2時間弱かかって、石見銀山に到着しました。
ナビ様は、大森代官所跡に行けといっているのですが、それは無視(^_^;)
旦那さまが事前に調べた情報によると、パーク&ライドを実施しているとのこと。
大森代官所跡ではなく、新設された石見銀山世界遺産センターのある駐車場に停めてそこからバスで大森代官所跡まで、引き返すという手順を踏まなければならないそうです。
ナビ様の地図情報が少々古く、ちょっと迷いながら世界遺産センターのある駐車場に到着(写真上段左)しました。
ここで、一日乗車券を買い求め、バスを待つ列に並びます。
平日にもかかわらず一台目のバスには乗れず、次ぎのバスに乗りました。
(でも、センターのひとに聞いたら、今日は空いているほうで、週末はとんでもない状態だそうです)
さて、二台目のバスに乗り込んで、大森代官所跡に到着。
が……ここで、後悔しました。ナビ様のお導きどおりにすれば良かったと……(T T)
大森代官所跡のバス停には、駐車場がありました。
20台弱ぐらい停められるようで、知っているひとはここに直接乗り付けておりましたし、まだ空きもありました。
平日だから可能なことだとは思うのですが、もし平日石見銀山に行こうと思っている方がいたら、まだ今だったらこちらに停めてしまうのが便利だと思います。
ここでバスを乗り換えて、石見銀山のどん詰まり龍源寺を目指すのです。
が、こちらのバス待ちも長蛇の列。臨時のバスを出しているとのことでしたが、うねうねと曲がりくねった列が出来上がっておりました。
一番奥までは坂を上ることになっていて、それだったら一番奥まで行ってから、帰りは徒歩で下ってこようと……誰しも考えることは一緒ですね。
取り敢えず、この近所で見られるところから見ておこうかと、列には並ばず、町中へと足を踏み出しました。
写真上段右は、大森代官所跡の外観です。バス停から徒歩1分程度。
世界遺産石見銀山は石銀地区(山の中)、銀山地区、町並み地区の3つに別れています。
石銀地区は、山の中ですが、町並み地区と銀山地区はつながっていて、坂道をえんえん山の中に向かって歩いていくことになります。
両方合わせて、3.1kmの道程。
大森代官所跡は、町並み地区にあって、その町並み地区の起点とされているのが、写真下段左の城上(きじょう)神社です。
ほとんどひとがおりませんでした(^_^;)
自由に拝殿の中に入れるようになっていたので、まず拝礼をしてから、中に。
拝殿の天井には鮮やかな色遣いで龍が描かれており、鳴き龍なんだそうです。
指定された場所に、正座して座り、ぽんぽんと手を叩くと、澄んだ声が聞こえてきました。
京都の鳴き龍よりも、日光の鳴き龍よりも軽く高い鳴き声でした。
こちらの神社も出雲大社と同様の大社造りといわれる造りでした。
拝殿の後ろに、立派な御本殿があって、その外観は出雲大社に酷似しています。
庭に出ると、なにやらでっかい石が鎮座してました。
亀石というのだそうです。
なんでも、この城上神社は遷座されて現在の場所にあるそうで。
その前の神社にこの亀石は祀られていたそうなのですが、遷座するときに置き去りにされたとか。
亀石は悲しんで自力で城上神社に行こうと試みたのですが、その過程で自重から川の底から上がることが出来ず、しばし川底に沈んでいたそうです。
ある日ひとが近くを通ったときに、自ら小豆を研ぐようなしゃかしゃかという音を発してひとに知らしめ、ようやく城上神社に運び込んでもらえた……という謂われなのだそうです。
置き去りにされるなんて、可哀想。でも、なんとかたどり着けたわけで、めでたしめでたしなんでしょうかねえ?(^_^;)
他にも、赤松と黒松がひとつ株から二股に別れて生えているという珍しい松、夫婦松もありました。
残念ながら近年、赤松は痛みが激しくなり、根元より1mほどの所で切らざるをえなくなり、黒松だけが二股に別れた先から天に向かって伸びておりました。
やもめになっちゃって可哀想にね……
次ぎに大森代官所跡(写真下段右)へと向かいました。現在は、石見銀山資料館となっています。
大森代官所跡を出てバス停に向かったのですが……まだまだ列はうねりながら続いていて、まあしょうがないかと、列に並びました。
バス待ちの列に並んでいたのですが……方針変更。実は貸し自転車があることに気づいておりました。
ということで、旦那さまひとりが列を離れ、バス停近くの貸し出し場所ガソリンスタンド 河村石油へと向かいました。
私は全部貸し出しされていたときのことを考え、列に並んでおります。
しばらくして、旦那さまが道を挟んだ反対側から、両手で大きく○を作っているのが見えました。
というわけで、石見銀山をレンタサイクルで巡ることに。私は電動アシスト付きの自転車。旦那さまは3段変速機付きの自転車で、こぎ始めました。
いっやあ〜電動アシスト付きを借りて貰えて良かったです。
いや、ほんと。
石見銀山の一番奥、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)までは、えんえん上りの坂道なんです。
多少の緩急はあるものの、だらだら上りの坂道が最後まで続きます。
電動アシストが付いてなかったら、絶対途中で音を上げていたと思います。
(現に三段変速機付きの旦那さまは、途中でへばり、ふだん運動不足気味とはいえ、かな〜りショックを受けていました)
石見銀山で貸し自転車を借りる場合、体力筋力に自信がないかたは、絶対、たとえ多少待っても電動アシスト付きをお薦めしますです。
でなければ、時間が掛かっても大丈夫なら、やっぱり徒歩がお薦め。遊歩道がきちんと整備されてますから。
上段写真は、途中途中にある間歩です。名前の付いている大きめの坑道もありますが、ほとんどが小さいもの。何百もの番号がふられておりました。
途中写真を撮ったり、休憩を入れたり、絶対乗れなかったであろうバスに追い越されたりしながら、石見銀山の一番奥にある龍源寺間歩に到着しました(写真下段左端)
ここが唯一、坑道の中まで入れるんです。
といっても、坑道の全部を行けるわけではなくて、入れるのはほんの157m+116m=273mだけです。
入り口の大きさは比較的大きく、身長六尺弱の旦那さまが並ぶと、下段左から二番目の写真のような感じ。
間歩(坑道)の中は、高さが1.6m〜2.1mぐらい。巾は0.9m〜1.5mぐらいとのこと。
私は、らくらくすいすい通れるのですが、旦那さまは途中途中背を屈めて歩かざるを得ない場所もありました。
メインの坑道からは脇道がいっぱい伸びています(写真下段右から二番目)いずれも入ることは出来ませんが。
どれも、メインの道と比べると小さいもの、低いもの、中には絶対腹這いにならないと進めそうにないものがありました。
157m進んだところで、ほぼ直角に折れ曲がります。
その角から先にも坑道が伸びているのですがそこからは立ち入り禁止。少しだけ奥の様子が観察出来ます(写真下段右端)
折れ曲がったところからは、上りになっていて、途中の壁に石見銀山の掘削、江戸期の坑道を掘る様子など、関連資料が展示されています。
折れ曲がるまでは、坑道を掘ったときのノミの跡もくっきり残るような岩肌でしたが、折れ曲がってからは、綺麗にならされた壁。
入り口よりもやや高い位置が出口となっておりました。
龍源寺間歩をあとにして、自転車を停めてある場所まで戻ります。
途中途中にも、番号だけがふられた小さい坑道があちらこちらに。
平日だからなのかお休みでしたが、お店も2つあり、そこを過ぎると急勾配の古びた石階段が目に留まりました。
見上げるとこれまた古びた感じの鳥居が見えます。
他の観光客のひとは、見上げるだけで通り過ぎていきます。
でも、せっかくだから、ちゃんと石段を登って拝んでみようと。
所々ぐらつく急勾配のかなりの段数のある石段を上がると、更にその奥に石段が続き古びてはいるものの立派な建物が見えました(写真)
佐毘売山(さひめやま)神社なのだそうです。
別名は「山神社」といい、地元のかた、坑夫からは「山神(さんじん)さん」と呼ばれて親しまれているそうです。
御祭神は、金山彦神(かなやまひこのかみ)で、鉱山を司どっていて、鉱業・鍛冶など、金属に関する技工を守護する神様だそうです。
まさに、石見銀山にふさわしい神様ですね。慕われるのもわかる気がします。
自転車を停めた場所まで戻り、さあこれから下ろうというところで、旦那さまがお腹が空いた……と(^_^;)
ということで、すぐ近くにあった、「Toraya」というお店に。カレーとコーヒーのお店と看板にありました。
カレーは、まあまあ美味しかったし、お値段も手頃だと思えました。
しか〜しっ!! 余りにも時間が掛かりすぎますっ!! 野菜を畑から採ってきて、鶏を締めてハーブを採ってきて調理したんかいっ!! ってぐらい時間が掛かりすぎ。
時間が無い場合は、絶対立ち寄ってはいけないお店です。
これから石見銀山に行こうと思っているひとはお気をつけ召され。カレーの香りに翻弄されてはなりませんよ、うちの旦那さまみたいに(笑)
思いもよらず時間を取られたので、やや急ぎ気味に、道を下ります。
道沿いには起点起点で案内板が出ています。
案内板に従って、次ぎに立ち寄ったのは
「清水(せいすい)寺」(写真左)
正式名称は石見第七番札所 銀峯山 清水寺。
バスも通るメインの通りと平行して遊歩道が整備されているのですが、このお寺は、遊歩道沿いにあります。自転車を道の端に停めて、石段を登って山門まで上がりました。
山門には、右に不動明王 左に毘沙門天の石像がありました。
境内の中に入って拝礼して、振り返って庭を見ると、山門脇の裏手、庭に面したところに、結構な数の石仏が祀ってありました(写真右)
厳かな雰囲気のいいお寺だと思います。
さらに道を下ります。
脇道への入り口に清水谷 精錬所跡の表示が。
結構な勾配の上り坂の脇道で、最初行くのを旦那さまがしぶった(笑)のですが、せっかくだからと向かいます。
らくちん運転の私が先行しました。坂は急ですが距離は短くすぐたどり着けます。
見えてきたのは、石組みの段々畑???(写真左)
どうやら、この段ひとつひとつに、往時は家が建ち並んでいて、精錬所だったそうなんです。
案内板には、往時の家々が立ち並ぶ写真が掲載されておりました。
一番上の段から奥には、トロッコ道につながっていて、坑道から運び出された鉱物を効率よくここまで運べるような仕組みになっていたそうです。
ここまで上ってくるひともやはり少ないです。せっかく来たのに、もったいないなあと思ってしまいます。
更に道を下り、遊歩道からメインの道路に戻ります。
写真右は西本(さいほん)寺です。
石見銀山には、山の上にお城がありました。龍源寺間歩から徒歩30分(ほとんど獣道だとか)ほどの山の中で山吹(やまぶき)城といったそうです。
鎌倉末期の戦国時代に大内氏によって築城さたそうですが、今はあとかたもなく、深さ約2mの濠跡だけが残っているそうです。
四つの門がお城にはありまして、そのうちのひとつ追手門が改造されて時を経てこの西本寺の山門として移築されたそうです。
写真に写っている山門が改造され移築された山吹城の追手門だそうです。
更に道をくだり、銀山地区と町並み地区の分かれ目まで下りてきました。
この近くにあるのが石室山(いしむろざん) 無量壽院羅漢寺(むりょうじゅいんらかんじ)です。
道を挟んだとい面の岩山に、石窟が掘られていて五百羅漢が収められています(写真)
五百羅漢は、今から250年位前に月海浄印と言う方が発願されたそうで、昔銀山で働いて亡くなった人々の霊や、祖先の霊を供養するためにと、地元の人々、大森代官所の代官と役人、有徳院(ゆうとくいん)様=八代将軍吉宗公の次男、江戸城大奥の女中など多くの人々の寄進に依り明和3年(1766)3月、25年もかけて完成したそうです。
この五百羅漢を護るために、羅漢寺も建てられたそうです。
ほとんどの観光客のひとは、お寺には参らずに五百羅漢に向かっていました。でも、我が家はきちんと、お寺に参らせていただきました。
ご本尊は阿弥陀(無量壽)如来、不動明王、愛染明王。他に写真撮影不可で文化財でもある秘仏がお二方いらっしゃいました。
お一方は、過去・現在・未来の三世の悪因を断除される降三世(こうさんぜ)明王。
もうお一方は、国家平安と衆生擁護を司る大元帥(だいげんすい)明王。
どちらの明王様も、素晴らしかったです。迫力も造形も感じ入るものがありました。
こんな秘仏を息が掛かりそうな距離で見られるのです。絶対お参りして、拝見させていただくべきお寺だと思います。
また天井の龍の絵も必見です。昔大暴れした龍が鎮められ、お寺の建立の時に護摩の灰を使って描かれ封印されたそうです。
五百羅漢も圧巻でした。
ひとりひとり表情も姿も、全部違います。中にはだらけている羅漢、眠っている羅漢、猫を膝に抱いた羅漢もいてさまざまでした。
再び自転車に乗り、メインの道に戻ります。
町並み地区に入りました。一気に民家と商家が増えます。
おみやげ品ばかりではなく、銀細工や鉱物、鉱石を扱ったお店も何軒かありますし、お菓子屋さんや、喫茶店もありますが、どのお店もその外観は昔のたたずまいのままで、内装も町の風情を壊さずに個性を出しておりました(写真上段真ん中)
道の角にあった自販機も、景観に溶け込むように工夫がされておりました(写真上段左)
町並み地区のちょうど半分の距離あたりまで下ったところに、旧大森区裁判所がありました(写真上段右)
立派な石州瓦で葺いた重厚な屋根を持ちながらどこか西洋風の、明治期以降の建物です。
復元された建物だそうで、現在は町並み交流センターとして、使われているそうです。
旧大森区裁判所のある十字路。
その対角線上の角に、いきなり大きな岩山があり、岩盤を刻んだらしい石段が続いておりました。
かなりの年月を掛けて人の足に踏みしめられ、中央部が削られてへこんでいる古びた石段を上がりきると、立派な山門のあるお寺に出ました。
観世音寺だそうです(写真下段左)
江戸時代には、大森代官所の祈願寺だったそうで、とても栄えていたそうです。山門には、年月を感じさせる立派な仁王様立ってらっしゃいました。
メインの通りに面していて、たったひとつぽんと高みになっている観世音寺。
切り立った際には柵なんてものもなく、一歩足を踏み出せばけっこな距離を落ちてしまいます。
でも、その高さと柵などがないおかげで、際まで寄って町並みを見下ろすことが出来ました。
写真下段右は、観世音寺から見下ろした町並みです。石州瓦の屋根が並んでいて異例です。
赤い懐かしいポストがあるのは、この地区の郵便局。
写真の奥に進むと、石見銀山道の起点、城上神社、大森代官所跡になります。
今、更に景観をよくしようと、電線を地中に埋める工事を進めているそうです。
実際平日ということもあって、工事をやっていて迂回しなければならないところがありました。
電柱と電線がなくなるだけでも、かなりすっきりとして昔ながらの町並みを感じることが出来るようになるでしょう。
各施設や寺院の修復もこれからどんどん進めるそうなので、そうなったら、もう一度訪れて見たい気がします。
貸し自転車を返却し、バスで世界遺産センターまで戻り、次の地へ向かいました。
石見銀山から、約30分ほどで、温泉津温泉街に到着しました。
一度車で温泉街の奥まで進んだのですが、車を停める場所が宿泊客以外にはありません。
切り返していったん温泉津入り口の温泉津港まで戻り、港の近くにある「ゆう・ゆう館」という多目的施設の駐車場に停めて、徒歩で温泉街に向かいました。
ほどなく立派な神社が見えてきました。
龍御前(たつのごぜん)神社と石柱に掘られてました(写真上段)
後ろに、神社に向かって被さってくるような岩山が見えます。
「あの岩、まるで龍が口を開けてるみたいに見えるね〜」なんて会話をしたのですが。
まさに、その通りで、「龍岩(たついわ)」といい、もともと神が宿る場所として崇拝されていて、その下に社を造ったそうなのです。
石見銀山が賑やかだった頃、頻繁に温泉津港に出入りした北前船の守り神として信仰を集めていたそうです。
更に奥に進むと、大きな建物が目に留まりました。
家の前に案内看板が立っています。
内藤家庄屋屋敷と書かれてありました(写真中段左)
当時の豪商のお屋敷なんだそうです。
内覧は出来ず、外観のみ。帰りに前を通ったら、家の中に灯がともっていました。
子孫の方が未だにお住まいなのかもしれません。
次いで見えてきたのが、本堂の瓦屋根が黒光りしていた「西楽(さいらく)寺」(写真中段右)
ホームページもあって、なかなかなようです(^_^;)
その立派な本堂に惹かれてついつい写真を撮ってしまいました。
この西楽寺を過ぎたあたりから、温泉津温泉街となり、温泉宿が並び始めます。
時刻は17時近く。
ぼちぼちと街に灯りがつき始めました(写真下段左)
石見銀山の町並みのような統一感はないのですが、どの建物も年代を感じさせるレトロ感はたっぷり。
宿ごとにちょっとした工夫をしている感じです。
温泉津温泉の始まりは、旅の僧が、湯に浸かって傷を治している狸を見つけたとか(そのせいかタヌキのキャラが街のあちらこちらに見られました)、大国主命が病気のウサギをお湯に入れて救ったことから始まったとか、いわれているそうです。
外湯は元湯と薬師湯(写真下段右)の二箇所あるそうです。
時間がもっとあれば入りたかったのですが…………
これから松江市の宍道湖温泉のお宿まで行かなければなりません。
後ろ髪を引かれつつ、泣く泣く温泉津温泉をあとにしました。
絶対、も1回は訪れて、お宿にも泊まって、お湯につかってやるぅぅ。
「今度は絶対入ろうねっ!!」と誓い、温泉津温泉を出発。
往路は高速も使って、松江市まで戻りました。
今夜のお宿はてんてん手毬、宍道湖温泉郷にあり、女性向けをうたったお宿です。ここが、懸賞で当たったお宿なんです。
移動中電話連絡をしておいたものの、到着は19時を回ってしまいました。でも、お宿の方にとても温かく出迎えていただけました。
車を停めるとお宿の方が出てきてくれて、玄関先まで案内。ホールに上がって、まずはお抹茶をいただきました。
宿泊の手続きをしつつ、私は浴衣を、旦那さまは作務衣を、それぞれ好みのものを選べるようになってます。
女性はマニキュアも選べるのですが、そちらは遠慮させていただきました。プラスお部屋で焚く用のお香も選べるんです。
浴衣や作務衣を選びましたが、お部屋にはきちんと寝間着用の浴衣も置いてありました。いたれりつくせりな感じ♪
一息ついて、さっそく晩ご飯をいただくことにして、食事どころに向かいました。
お食事どころも工夫が凝らしてあって「野点宴席」と銘打ってあります。
部屋の中に野点で使われる紅の大きな和傘が各テーブルごとに立てかけてありました。
さすがに、我が家の他には誰もいません(^_^;)
まあ、時間が時間ですから当然ですね。
上段写真は席に着いたときに、すでに並べてあったお食事です。
お品書きが添えられていて「神在月の花手毬会席」とありました。
盛りつけにも器にも気を使っているのがわかります。
このお宿の名前どおり、「手毬」の意匠の器が多く配してありました。
お品書きと見比べてみると、並んでいるのは「前菜」、「造里(つくり)」、「スープ」、「焼物」。
そして……「オルゴール」?!
右上の方の四角い箱がそうなのかしらん……?と。
二段目の写真左は、「焼物」で島根和牛の陶板焼きです。
島根和牛って、初めて知りました(^_^;)
柔らかくて、美味しかったです。
そして、二段目写真右が、オルゴール。
蓋を開けると「毬と殿様」のメロディーが流れ始めました。
♪てんてんてんまり〜♪ってやつです。
お料理の内容は、二色手毬寿司で、手毬に見立てた丸い小さなお寿司が入っていました。
メロディーが終わるのを待ってから、いただきました(笑)
目と耳と舌で楽しめる料理となっていました。
写真三段目は、あとから運ばれてきた料理です。
左が「洋皿」で、鱸(すずき)と木の子のソテートマトソース。
真ん中が、「揚物」で、キスの南京揚げ。
揚げ物が入っていた器も工夫しています。
安来節、ドジョウ掬いで有名な安来市が近いんですよね、確か。
ということで、ドジョウ掬いのお人形が飾られた竹ざるの中に(写真右)、更に小さな竹カゴに入って揚物の料理が運ばれてきました(笑)
ドジョウの料理ぢゃなくて、鱸(すずき)でしたけどね。
そうそう、飲み物は、松江市の地ビール「ビアへるん」をいただきました(写真四段目左)
島根ビールというところで作られている縁結ビールだそうです(笑)
「へるん」というのは、小泉八雲、ラフカディオ・ハーンのことです。
Hearn(ハーン)の誤読なのですが、ご当人が気に入っていて、しばしば使われていたことから、松江市では「へるん」で親しまれているそうです。
ここにはスタウトの一種類しか置いてなかったのですが、お料理に合っていて、美味しかったです。
写真右は「御飯」で松茸御飯・佃煮・赤出汁です。
秋の味覚だから、松茸がお宿のお料理に出るかもということで、夕べ自粛しておいたので、巡り会えて嬉しかったです(笑)
最後にデザート、「水物」がふたつの器で運ばれてきました(下段写真左)
四角い器には、手毬の意匠が。
丸い器は、二色に別れていて、これも手毬をデザインしたものでしょう。
蓋を取ると白い煙がもうもうとわき上がりました。ドライアイスで冷やしてあるそうです(下段写真右)
内容は、四角い器の方が紫芋の羊羹・秋の果物で、丸い器がぜんざいです。
さすがに、女性向けのお宿とうたっているだけあります。
大概の温泉旅館、ずらーーっと料理が並ぶのですが、食べきるのに必死になることがしばしば。
でも、ここでのお料理は食べきれるし、量もちょうどいい感じでした。
お宿としてちょっと残念なのは、お風呂が夜は23時までしか入れないこと。食べ終わって21時近く。
お腹がこなれきれないうちに、お風呂に入りに行きました。
まあ、到着が遅かったのですから仕方がないのですが、いいお風呂だっただけに、もう少し遅くまで入れるようだと嬉しいかなって感じです。
石見銀山では、いろいろ迷ったあげく、ストラップを購入しました(写真上段左)
ちゃんとmede in Japan を確認して購入(^_^;)
種類はいろいろあったのですが、一番シンプルでわかりやすいものにしました。
実は密かに携帯ストラップ集めているもので。
そして、石見銀山の行く道すがら、立ち寄ったコンビニでカップラーメンを4種類購入。
関東では絶対に見かけない、お店のものばかり。
これは買うっきゃないでしょうと、旦那さまに苦笑いされながらも、買い込みました。
そのうち、取り替えっこしながら食べてみたいと思っています。
(一番の大きなおみやげ群になってしまいましたけどね)
写真下段は、温泉津温泉街で買い求めたもの。
左は特別純米「石見の風」。
温泉津港近くのシックな外観のおみやげ屋さんで購入。
店内では石見神楽の映像を上映していて、そのお神楽に関連するものも売られていました。
石見神楽も見てみたいもののひとつ。やっぱりもう一度ここらへんに来なくちゃだめよね。
下段写真右は、温泉津温泉街で購入した才市まんじゅう。
石見の才市と呼ばれた浅原才市の名前をいただいてる味噌まんじゅうです。
温泉津温泉街の中には、浅原才市の像がありました。
その像、頭に角があるんです。
妙好人(みょうこうにん)として知られています。
浄土真宗の門下で念仏の心をひらがなの自由詩に表現して、大工仕事のかたわら、かんなくずなどに書き留め、死後評価された方らしいです。頭の角は、人間の業を表しているのだとか。
おまんじゅうは、味噌の塩気とあんこの甘さがちょうど良くて、温泉津から宍道湖温泉に向かう道すがら、小腹が空いたので、いただいちゃいました。美味しかったです♪
ウェブサイトで、レンタサイクルを探している時に、このサイトに出会いましたが、興味を持って読ませてもらいました。今年4月(2008年)、フランス人友人夫婦を伴って、駆け足で、日本を旅行しますが、その際、温泉津と石見銀山を訪れます。実は、30年以前、オーストラリア人陶芸家の主人と共に、2年半ほど、江津市の浅利に住んだことがあります。土地の人が”はんど”と呼ぶ大甕の制作方法を学ぶためです。その折、温泉津地域には、よく足を運びました。今は記念物としてだけ残るダイナミックな登り窯の窯焚きを見物したり、骨董屋を訪ねたり、または、海で泳いだり、銀山を訪ねたり、楽しい思い出に耐えません。ですが、ほえほえ日記を読んでいると、私の知っている石見は30年前のの石見だということを、しみじみ感じさせられます。温泉津温泉は、もともと源泉量が少ないこともあって、”知る人ぞ知る”といった感のある田舎の温泉でした。銀山でさえ、見物客のラッシュアワーなどに出会ったことがありません。全てがゆったりとして、まさに、”たゆとう”という古代の表現が当てはまる土地柄でした。現在の石見の姿を知るにつけ、30年間経て、人気観光地として、石見が変貌を遂げつつあることを実感しています。石見地域の開発は、住民に利益をもたらすことではありますが、出雲に代表される純朴な石見の心を失ってもらいたくないと思います。今回の旅行で、是非とも、観光ブームの奥にある、たゆとう石見を再発見したいと願っています。Moko Halford<br>PS.Websiteへの掲載は避けてください。