ほえほえ日記
〜フォントサイズ「小」で綺麗に見えるように書いています〜
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京都三日目。
あいにくの雨模様。
ホテルのバイキングで朝食をいただき、チェックアウト後だけれど荷物を預かってもらえたので楽ちんに出かけました。
バスで移動するため、四条河原町の交差点を目指します。
道すがら、ホテルからさほど離れていないコンビニの前で、石柱を発見。
なんと、「坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地」でありました。
そういえば、ここらへんでありました。
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されたのは。
もっとも、中岡慎太郎は、襲撃されたあと、まだ息があって、襲撃者の特徴なんか(話していた言葉)を細々と言い残したんでしたっけ。
ああ、そいやあ、来年の大河ドラマは坂本龍馬だったっけ……。
そんな事を考えつつ、立ち止まりしっかり立て看板を読みました。
読み終えて写真に収めてから、バス停を目指しました。
本日も京都市内観光でございます。
出発間際のバスに駆け乗り、目的地を目指しました。
最初の目的地は、清水寺です。
やっぱり清水寺も、ん~十年ぶりでございます。
バス停で降りて、てろてろと坂道を登ります。
こんなに、キツかったっけ?(^^;)
何度行き交う人力車の誘惑に駆られたことか(爆) それでもなんとか、清水坂も登り切り、清水寺に到着。
着物姿で撮影大会している人々や、修学旅行生が当然ですが大勢いらっしゃいました。
運の良いことに、33年ごとに御開帳の秘仏、観音像を拝むことが出来ました。
それにしても思うのは、自分の足で、自分のペースで、ある程度年齢を重ねてから、こういう場所を訪れるとまた違う感慨があるものだなあと。
特に学生時代に一度訪れたとき、余計にそう感じます。 数年前に日光を訪れたときも、同じような感慨がありました。
今回清水寺を訪れた目的のひとつに、舞台に対岸子安の塔からの眺望を楽しみたいというのがありました。
下段の写真2枚が、対岸から撮ったものです。
あいにくのお天気ではありましたが、でも、雨に煙る清水寺というのも、趣深いと思います。
清水寺をゆっくり散策し、清水坂の陶器屋さんの2階でひと息。
修学旅行生を眼下にしながら、旦那様はコーヒーを。私は御抹茶をいただきました。
そのお店で清水焼の器も買い求めたあと三寧坂へ。
更に三寧坂から二年坂に入りました。
その二年坂の途中、民家を利用したお蕎麦屋さんがあったので、お昼を取りました。
写真上段の左側が、私がいただいた「きのこ蕎麦」
右が旦那様がいただいた「ニシン蕎麦」です。
どちらも美味しかったです♪♪
お店を出て二年坂から高台寺通りに出て、途中のお土産屋を冷やかしつつ、途中から裏小路へ。
石塀小路を経て下河原通りに出ました。
そこから祇園八坂神社を右手に見ながら、東大寺通りへと抜けました。
下段の写真左は、その小路の途中の京都らしい風情を感じた場所。
右が祇園八坂神社の東大寺通りに面した入り口です。
祇園八坂神社の前を通り過ぎ対岸に渡ってバスを待ちます。
本日のメインイベント、京都御所参観のため、御所を目指しました。
本当は桂離宮も参観したかったのですが、いっぱいで無理。
京都御所もぎりぎり2人分空いていて、ネットで申し込みが出来たのです。
今出川通り沿いのバス停で降り、烏丸通りに折れ、乾御門から入り受付場所の清所門を目指しました(右写真)
あとで知ったのですが、この清所門、下々の者が通る通用門なのだそうです(^^;)
築地塀(ついじべい)がずーっと続いていて、テレビや映画で見た光景ですが、実際に自分の目で見ると、ずいぶんと美しいものだなあと思いました。
受け付け開始の時間となり、ついに御所内の敷地に入りました。
門をくぐってすぐの建物にいったん集まり、そこに案内をする方が呼びに来てくれます。
私たちは1時間の標準コース。他に、短縮コースというのもあります。
ほどなくお呼びが掛かり、移動となりました。
案内順路はこちらのページがわかりやすいです。
① 宜秋門(ぎしゅうもん)
清礼門と違い、この門は宮・摂家、公卿が参内する時に開かれるそうです。別名が「公卿門」
親王・摂政や関白、老年の大臣以外は牛車での通行が認めれれていなかったとのことでした。それから、5月の葵祭は、この門から出発するそうです。
② 御車寄(おくるまよせ)
こちらは、まだ自動車が無かった時代の車寄せの場所だそうです。
次が「諸大夫の間」 正式の用向きで参内した方が控える間だそうで、身分別に部屋が別れて、3部屋あります。
③ 虎の間
公卿が控える部屋。
④ 鶴の間
殿上人が控える部屋。
⑤ 桜の間
それ以外の方が控える部屋。
⑥ 新御車寄(しんおくるまよせ)
自動車を寄せる場所。 ② の「御車寄」との年代の違いが、後ろ側の建物の窓がガラスになっていることに現われています。
⑦ 月華門
紫宸殿(⑨)を囲む丹塗りの回廊、その西側に設置されている門。
⑧ 月華門から臨む日華門
月華門の反対側、東側には日華門が設置されています。同じ位置にあるので、こうして門の先に門を見ることが出来ます。
⑨ 回廊の真南、承明門から臨む紫宸殿
内裏における公式な儀式(天皇元服・立太子・節会など)が行われた正殿。
今回の参観では、これ以上中には入ることが出来ませんでした。かすかにですが、壮麗な天皇が座る高御座が見えました。
南側に広がる白砂の庭は「南庭(だんてい)」と呼ばれているそうです。
⑩ 左近の桜 近くに左近衛が配陣されていたので、この名前の由来。
⑪ 右近の橘 こちらは右近衛が配陣されていたからというのが名前の由来。
⑫ 檜皮葺(ひわだぶき)屋根の模型 紫宸殿を始め、随所で見られる屋根の作りを表した模型がありました。
ヒノキの樹皮を何枚も何枚も重ねて作られています。
⑬ 建礼門 京都御所の正門。御即位大礼などの儀式の時のみ開かれるが、最近は国賓クラスの来訪時にも開けられるそうです。
⑭ 春興殿(しゅんこうでん)
大正天皇の即位礼に際して、後位継承のしるしである三種の神器の一つ「神鏡」を奉安するために建てられた建物なのだそうです。
銅板葺きの屋根が特徴的。緑青が浮かんでいるけれど、それが味になって綺麗です。
⑮ 清涼殿(せいりょうでん)
天皇の日常生活の場として使われた御殿です。
平安時代からのもので、物語の中にも出てきますよね。
ここに看板があって、天皇陛下がこなさなければならない年中行事が書かれていましたが、その数300?!
一年のうち、ほとんどの日に、行事があるようです。
植えられているのは左が「唐竹」で右が「呉竹」だそうです。
⑯ 小御所(こごしょ)
平安期の建物の造りなので、雨戸でなく上から下ろす鎧戸のような造りです。
西本願寺なんかもこのタイプでした。
小御所というと、「小御所会議」が有名でしょうか。
慶応3年12月、「王政復古の大号令」が発せられた夜に徳川慶喜の官職辞職と徳川家領の削封が決定された会議のことです。
その会議がここで行われたのです。
⑰ 御学問所(おがくもんじょ)
小御所と廊下で繋がれているのですが、こちらは江戸期の造り。雨戸が付いておりました。
基本的には、名前の通り勉強をする場所なのですが、親王宣下や御進講、月次(つきなみ)の和歌の会などにも使われたそうです。
⑱ 御池庭(おいけにわ)
回遊式の庭園。船遊びにも使われたそうです。右手の橋は有名な欅橋。
⑲ 御内庭(ごないてい) 御池庭が明るい感じに反してひなびた造りの庭。橋の奥には茶室があるそうです。川の水は御池庭につながっています。
⑳ 手前が「迎春」 奥が「御涼所」 遠くからの見学のみ。
21. 御三間(おみま)
宮中御内儀の行事が行われた場所だそうです。
外から見てもわかるのですが、内部は、下段の間、中段の間、上段の間に区切られていて、段差がついております。
案内人の方が紹介してくれたのが、障子の紙の貼り方。節約しやすいように、貼り方に工夫がされております。
22. 1時間の参観が終了。振り返って見た風景。左に見える屋根が先ほどの「御三間」です。
非常に充実した時間を過ごしました。機会があったら、ぜひ参観されることをお奨めします。
晴明神社を離れバスでホテルまで戻り荷物を受け取ってから、京都駅を目指しました。
駅ビル内でおみやげをたくさん買ってから、一番早い新幹線に飛び乗りました。
晩ご飯は車内販売のお弁当(写真は取り忘れ)。無事に東京駅に到着。自宅にも日付が変わる前に帰宅できました。