ほえほえ日記
〜フォントサイズ「小」で綺麗に見えるように書いています〜
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京都滞在2日目。
駅前のホテルでおばんさいの朝食をいただいてから出発。
空は曇り空。雨は降りそうにはありませんでした。
駅のロッカーに荷物を入れてから、徒歩で出発。
まず向かったのは、西本願寺です。
NHKのテレビ番組で、御影堂の屋根の修復を放送していて、修復後の姿を見てみたいなあと思ったからです。
あまりに大きくて、境内の隅っこに寄って撮影したけれど、入り切りませんでした(^^;)
瓦屋根が美しかったです。
警備のひととふとした事でお話しをする機会があったのですが、とても詳しくお話しをしてくれました。
西本願寺を堪能してから、目の前のバス停からバスで移動。
嵐山鉄道の駅近くで降りました。
チケットを買って、嵐山鉄道で太秦を目指します。
乗ろうと思った電車は、「源氏物語」の記念電車でありました。
車体に源氏物語の絵巻が描かれています。
嵐山鉄道は、一部道路を車と平行して走る区間があります。
市電とはまた違うのですが、以前乗ったとき強く印象に残っていました。
そこで、今回はビデオを持ってきていたので、運転席のすぐ後ろに陣取り、旦那様が撮影してくれました。
うちの旦那様にとっては初めての経験で、面白がっておりました。
下段の写真は、購入したチケット。
向かう予定の映画村の入場券と2回分の乗車券がセットで割引価格になっていました。
ん~十年ぶりの嵐山鉄道。変わらず走っていて嬉しかったです。
太秦映画村を後にして、ふたたび嵐山電鉄に乗り込み終点嵐山を目指しました。
嵯峨野を歩いてみたいという旦那様のご希望があったからです。
嵐山駅に到着すると、なんと駅舎内に「駅の足湯」と言う名の足湯が設置されておりました。
せっかくだからと、入りました。映画村で歩いていて、それなりに疲れていたのが解消されました。なかなか気持ちよかったです。
私は、てっきり渡月橋も渡るのかなと思ったら渡らず、桂川沿いを上流に向かい嵯峨野を目指しました。
相変わらず嵯峨野の竹林は風情がありますね。
もう夕方だったので、薄暗かったですが、余りひとも通っていなかったので、風になびく葉擦れ音がサワサワと響き、気持ちよかったです。
ゆっくりと散策しながら、おみやげなんぞも買って、ふたたび嵐山駅に戻り、そこから京都駅行きのバスに乗り込みました。
京都駅でロッカーから荷物を取り出し、バスで今晩のお宿を目指します。
河原町三条にあるホテルを取っておりました。
ホテルに到着して、ノートパソコンで晩ご飯を取るお店を検索。
朝食は付いているのですが、晩ご飯は無いので、場所柄お店には困らないものの、何か京都らしいものがいただきたいなあと思っておりました。
調べていた旦那様が「これ、いいよ。絶対きみ向きっ!」と声を上げます。
なんと幕末期、池田屋騒動で有名な池田屋の跡地に、「池田屋」という名の居酒屋があるというのです。
即決でした(笑)
私は跡地がパチンコ屋になっているというのは知っていたのですが、いつの間にかお店に変わったんですねえ。
上段の写真は、そのお店の外観です。歩いて向かったのですが、非常に目立っていてわかりやすかったです。
下段の写真は、最初テーブルにセッティングされていたものと、メニューです。どれも凝った作りですよね(笑)
でも、残念ながらメニューの内容は、よくある居酒屋のラインナップ。まあこれはしょうがないことですけどね。
その中でも地酒とかなるべく京都っぽいお料理を選びましたが、ここはネタとして入ってみただけなので、早々にお店をあとにしました。
中には大階段(蒲田行進曲なんかで有名な階段落ちの場面に似せてある)が設置されておりました。
お店の外側には、古くからある「池田屋騒動之址」と書かれた石柱(写真左)と、このお店が立てた案内看板が(写真右)ありました。
池田屋騒動は、元治元年6月5日、池田屋で京都市中に火を放ち天皇を長州に連れ出そうと企てていた長州藩士が集まっていたところに、新撰組隊士が踏み込み、斬り合いになったという事件です。
それまで壬生浪(みぶろ)などと呼ばれ、京都の人々にさげすまれていた新撰組の名を知らしめた事件でもあります。
この事件によって、維新が一年遅れたとも言われております。
まあでも、京都の人々はどちらかというと長州贔屓ですからねえ。
お店が立てた看板の文は、どちらかというと討たれたがわ、長州側に寄った文章が多かったです。
毎年亡くなった方への慰霊祭も執り行われているとのことでした。
祇園辺りで、呑もうかと言うことになり、三条大橋を渡ります。
この橋のたもとにも案内板があり、未だに三条大橋の欄干に幕末期の刀傷が残されていることを知りました。
池田屋騒動の時に、付けられたものではないかとの話もあって、ついつい欄干を丁寧に観て、しっかりとその刀傷を確認しました。
祇園で日本酒の品揃えの良いお店を発見し、そこで呑み、京都二日目の夜は更けました。