昨日までと一転、乾いた空気の北風がピューピュー。今日は関東まで北から張り出した同じ乾いた空気が覆っているらしい。
昨日から東京でオリンピックと騒いでおりますが、立候補地として決まっただけのこと、北京の8年後にアフリカやら南米を押しのけて、再びアジアでってのは無理でしょうし、日本でやりたい、その為には首都だっていうJOCの考え方も鼻につきますが・・・。
さて、私にとってのオリンピックというと、1972年の札幌オリンピックであります。
記憶に残っているのはジャンプの笠谷選手の活躍。クラスの男子全員の提出した絵があのピンと体を伸ばした笠谷選手の飛行姿だったという事件がありまして。
この絵ですが、クラスで授業中に描いたのでなく、休み中の課題だったと思います。だから、皆が同じような構図で描き、クラスの壁に張り出されてびっくりした記憶があるのですが・・・・・。
ただ、冬休みでも春休みでもオリンピックの開催時期に合わない。私にとって長らく疑問付きのオリンピックのエピソードだったのです。
この長年の疑問、先日地元FM局の放送でオリンピックの話題が触れられ、どうやら解決。私は覚えていなかったけど(なにせ小学校2年生)、札幌市立の小中学校にはオリンピック休みがあったらしい。
そういえば、オリンピック期間中、妙に生中継を見ているわけで・・・、おそらく市の教育関係の方々(先生も含めて)も運営の助っ人にしたりとかいう事情もあったのでしょうか。
2月のオリンピック開催中に1週間程度の休みがあり、その休み中にあの70m級ジャンプ、日の丸飛行隊 笠谷、金野、青地、3選手の金銀銅、表彰台独占があったとすれば、休み明けにオリンピックの図画を提出なんて課題もでるだろうし、クラスの男子全員がそっくりの絵を提出したのも、うなずけます。
その位、当時の笠谷選手の活躍は印象的だったのでした。