二日酔いの重い体で出勤。窓から見える桜並木が時間とともに華やかさを増すのを感じながら年度末の仕事をしていました。
卒業式後の余韻に浸りながら。
やっぱり、まちがっていなかったなあ、と久しぶりに思えた卒業式でした。
おれたち絶対泣くよ。センセーも絶対泣くよ。と言われていましたが、卒業に向けてまったくひきしまらない子どもたちに、イライラし、自信喪失する日々。
”今年の分のわたしの持ち合わせの涙は、もう全部使ってしまったので、君たちの卒業式では絶対に泣きません。そのかわり、一人一人が6年間の学びを精一杯表現している姿に感動したら、心からの笑顔で送り出します。”そう宣言していました。
◆ 今の職場の卒業式は、証書授与の前に舞台の上で一人一人が、将来の夢や中学生への決意の言葉を述べます。その後、在校生とのかけあいや合唱の入るよびかけ「門出の言葉」。この門出の言葉でだいたいやられてしまうのです。子どもたちに考えさせた言葉を整えて自分で作った台本なので暗記するほどなのですが、言葉に思いをのせられると、いろいろなシーンがフラッシュバックされてまっとうすぎる歌詞にとどめをさされてしまうのです。普通は。
◆ わたしは先頭で式場に入場し、全員が入場してくるのを迎えます。入り口の外で待機している8組は、相変わらず緊張感なし。春の日差しをあびながら、列の後ろからひょこひょこ顔を出して中の様子をうかがっていたり、ふざけあっていたり。この光景ももうこれで最後なんだなあ、と感慨深深く、入場し終わった一人一人の顔を見つめるとどの顔もくっきりはれやかで、やっぱりこの子たちが好きだ、と再確認できました。予行練習でもダメだしをしたよびかけも、本番はよかった。5年生の「中学校でもがんばってください!」という言葉をきっかけに泣き出す子が多数。何があっても声をはりあげなさい、と言ってあったのを守り、なきじゃくりながら歌う姿を見ると、ほんとうに嬉しくて心からの笑顔になって送り出すことができました。
◆ 式の後、教室にもどると、予想外に真剣にわたしの話を聞いてくれる8組。きょうからは、先生と生徒じゃなくて、人と人だよ。という話をし終わると、写真撮影に呼ばれました。「じゃ、背の順に並んで。行くよっ」と指示を出すと、サプライズがありました。いつもなら、たいてい子どもの不穏な動きを察知しているのですが、今回はほんとに期待もしていなかったし、びっくり。ノートに22人が1ページずつびっしりメッセージを書いてくれていました。誰が言い出しっぺだったのか、誰が写真をコピーして貼ってくれたのか、ほんとうに知りませんでした。いつ用意したの?と聞くと、Tが「きのう」と答えましたが、今朝、やっとじっくり読んでみて(卒業式の後は、会食→来年度用の教育計画という100ページ以上ある冊子を印刷製本する作業→退勤後は宴会、もちろんよっぱらい→バタンキューだったので)一日で全員が書けるようなものではなかったことは一目瞭然。味もそっけもない大学ノート。表紙に宛名も何も書いてない。でも、自分のページはみんなびっちり文字でうめてあるのです。自分の名前も書いてない子がいっぱいいるという、おまけつき。出席番号順で書いてあるっていう生真面目さ。ねらったわけじゃないと思うけど平成19年度の8組らしさ満載でした。ほんとうにありがとう!
◆ 桜を眺めながらパソコン打っていると、校庭側の窓に、もういるんです。うちのワルオちゃんたちが。早いんだよっ。もう来るなっ。担任も照れ屋で素直じゃないんだな。
とても幸せな気分の今日、やりきれないニュースがとびこんできた。板橋起った卒業生の自殺。(昨日は飲んだくれていたのでニュースを知りませんでした)詳しいことはわからないけれど、わたしと同じ立場の方のことを思うとなんと言っていいのかわからないです。前の記事に書いた「決意の言葉」で当日だけ練習とまったく違う内容、学校批判や君が代日の丸批判などちょっと大人がらみがにおってくるものにしてしまったという話は聞いたことがある。詳細が伝わってくるかどうか疑問だけど、なんでどうしてという思いだけがふくらんでくる。
ばいばい、またあした!