2004年から友人に教えてもらいながらブログを始め、今もここがとても気に入っています。
コメントスパムがすごいので引っ越します。
過去の日記を保存したいなあと思っていますが、方法がよくわかりません。日常の愚痴なんかはいいけど、旅の記録はとっておきたいなあ。一日分ずつ新しい日記に貼付けることは可能ですが、四年分もそれをやる元気はなく。CDに落としたりすることはできないのかなあ。
今週も、木曜日に以前の同僚との飲み会で早く職場を出た以外は、毎日9時まででした。それでも、まだ残っている仕事。毎週土日もあてにする毎日ではいかん、のですが。仕事があるうちがハナ。仕事に追われるのでなく追いかけろ。
焚き火したり海を見たりしながらぼーっとする時間も作りたい。突然で、しかも短時間の遊びに誘える人は、あまりいない。となると、一人キャンプデビューの日も近いのだろうか。ちょっとコワイからたぶんできないなあ。一人ハイキングはできてもテント泊はねえ。今シーズンのスキーは私の中では、すっかりシーズン終了だし。贅沢なマッサージやエステで癒されるだけでもいいか。
習字に使う文鎮ときいて、どんなのを想像しますか?書道をたしなむ方は、立派な青銅色のものなどを想像するかもしれませんが、多くの読者は、銀色で、約1センチ角の棒型で、25センチくらいのものを思い浮かべるのではありませんか?
今時の文鎮@子ども版。金属そのままでなくプラスチックで覆われていて(これは時代の流れで当然でしょう)、12センチくらいのものが2本で1セット。ちょっと前からこういうのが一般的になってきています。
半紙の上に文鎮を置くと上部の余白が大きくなってしまい、紙に文字がおさまらず最後の文字は小さくなってしまうということがよくあるのですが、2本に別れているとこれが解消できるのです。半紙の右上と左上にハの字型に文鎮を置くのです。そうすれば、紙の上の方から文字が書けるのです。単純だけど画期的。
保健室に入ると、酒くさい。気のせいじゃない。終電間近の電車と同じ。そういえば、去年も感じたんだっけ。ずっと前、ツベルクリンで皮膚を縫うように針をさしてしまうご恒例の方もいました。そういえば校医さんってどうやって決めているのか知らない。
しかも、この早い時期の設定で、数々の問診票などを始業式に配布して、名前も覚えていない子どもたちからもれなく回収しなければならないのは、ちょっときつかったです。養護教諭からみれば、なるべく早い時期に全部終わらせたいのでしょうが、既に、ギョウ虫検査も、尿検査も終わっているってちょっとやりすぎだと思うのは、一般教諭の甘えなのか?
20年以上使っているコンポの機嫌がわるい。今時必要ない、ダブルカセットとCD5枚入搭載のものである。ちょっと前に、帰宅してCDをかけようと、お皿を出したまま、何か別の用事をしてそのまま一晩忘れてしまったら、次からCDがかからなくなってしまった。
あーあー。もうだめかなと思っていたら、市販のCDはかかるということがわかった。焼いてもらったものはだめなんである。でも機嫌が悪くなる前は、焼いてもらったCDも聞けたんですけどね。不思議。
朝、7時15分過ぎに駅に着くと、電車が来ない。まだ時間に余裕があるから待ってみる。7時半をすぎてホームが人であふれてきたし、これはそろそろ別の手段をとった方がいいな、と改札を出て、近くのバス停まで歩く。これが間違いだった。その道はほぼ1本道で常に混雑している。ちょっと遠いが、並行して通っている別の電車の駅まで歩くべきだったのです。
バスがやっと来たのが8時ごろ。職場に着いたのは8時半過ぎ。歩いても45分あれば着くのだが、雨がふっていたので歩くという選択肢はなかったなあ。
池袋キリンシチーにて。ブラ巧いスター(ナイスな変換だ)4。ハーフ&ハーフ7。ラガー4。一番(チルド)1。ツードックス1。ハートランド2。GF ジュース1。2年ぶりに会った3人で。
「あんたは、結局そうやって楽しんでるんだよ」なんてずばっと言ってくれるのがうれしかった。
最近のお気に入りは、ガヨマウンテンという豆。あまり癖がなくこくがあってまろやかな感じ。カレーみたいな表現だな。朝、ぼーっと音楽を聞きながら、見るでガリガリやって入れる至福の香り。
danchuに美味しい入れ方(ドリップ)がのっていたので、手に入れて改めてやってみる。が、1人分だと、よっぽど細く湯を注がないと、丸く盛り上げることができず、すぐにフィルターの方に流れてしまう。マグ2杯分を一度に入れているのですけれどねえ。
毎日7時過ぎに出勤9時に退勤でした。長かったー。つかれたー。それでも、週末の宿題が15個もある。今週始業式だったなんて信じられない感じ。でも仕事があるうちがハナですな。
キャンプやカヌーの楽しさに出会ったのは1997年。その時ユーコン川を一緒に下った仲間と会った。あの8日間がなかったら、今の自分はないなあと思う。スキーもなんとなくやめてしまったかもしれないし、キャンプも、バックパック旅行も、もちろんカヤック旅も、ニセコや沖縄通いも、あの川下りがスイッチになっている。「ツバメ号とアマゾン号」にはまった小学生の体験や、一日中海につかった臨海学校の体験など、ルーツはたくさんあるのだけれど、あの時スイッチが入らなかったら、休日の過ごし方はまったく違っていたことだけは確かです。
海と山だと、海の方が近いんだなあ。ちょろっと、漕ぎにいきたいです。
↑が、今年のわたしに科せられた大きなプロジェクト(研究)のテーマです。簡単に言うと、空間も、事物も、人も、歴史も、環境も、目に見えるものも見えないものもひっくるめて、いつでも使える学習の材料として子どもたちが、好きなときに取り出して使えるようにするというものです。
IT化することも含めて環境を整えると同時に、自分で調べたり、学んだことを百科事典の記事にしたりする力を育てることに重点を置いています。
産みの苦しみは当然ありますが、楽しんでいます。(と、いつまで言っていられるのだろう?)
きょうは、多くの中学校の入学式である。旧8組の進学先は、全部で7校。一番大勢が進む中学には大ボスと一緒に出席。その他の6校には祝電を手配済み。私立の学校に出身校から祝電が届くのはめずらしいらしく、式場で読まれました、という報告の電話が何本かかかってきました。
久々の小さい子たちなので、きめ細かくやらねば、と給食の盛りつけ指導に集中していたら、隣の学校に行ったワルオちゃんたちが、教室の後ろに入ってにやにやしている。まあ、来てくれるということは、それほどひどい2年間じゃなかったということでしょう。嬉しいけどあまりしょっちゅう来るんじゃないぞー。今を楽しめ今を!
平成20年度スタートです。今年の8組は3年生25名。入学式までの短い時間に校庭の真ん中で、ラブレターわたして、「ファイトォ〜8組〜!」とやって、さようなら。最近、このパターンが恒例です。
その後の入学式で。私の役割は、新入生の担任のダミーのような仕事でした。教室での子どもを見ながら、式場の座席まで誘導するのです。大ボスが「みなさんの、担任の先生を発表しますよ」というと、キラキラお目目がいくつも私の方を向いている。あー、だますつもりはなかったんだけど、ごめんねー!
◆ 毎日日記を書く、と宣言したものの、仕事漬けになる今年度。つまらない内容になりそうな予感。
職員室の戸をあけた瞬間そう思いました。それくらい大勢の人が休日出勤していました。今年はカレンダーが悪いからかなあ。月曜日始まりだから、ほとんどのことがすぐに本格稼働するのでそうじ当番表とか給食当番のシステムとか全てはっきりさせておかないと始業式の翌日から動きません。
といいつつ、わたしが今日やった仕事はデスク周りの片付け。資料を引き出しにおさまるだけに減らしました。これで、隣の女子にまず机上をかたづけろといえます。
さて、明日まで天気がもつといいのですが。
まったく遊ばなかった春休みが終わります。子どもが登校し、入学式の準備。新しい8組の準備。
新しい相棒は3年目の女子。鍛えがいがありそう。
デスクの引き出しあけたまま帰宅してしまう、飲みのこしのお茶をカップに入れたまま放置。各部屋の机と椅子の数を新年度用にそろえるための指示書作りに1日半かけてしまう。かんたんに「そういうのわかりません」と言う。「おまえなんか実習生以下だ!」と怒鳴られても「あたし、あんまり気にならないんです」と落ち込んでいなかったので、どうやって育てるか。。。。お給料をもらいながら働いているということをまずは自覚させねば。
そして、人に厳しくするためには、やはり自分も。です。
研究をすすめていると、時々何かが乗り移ったように、展望が開けたり、説明したりできることがある。ひらめきとでもいうのか、自分の中から次々にアイディアが生まれイメージが広がり、言葉や図などを使ってうまく伝えられる、そんな瞬間が時々ある。
きようは、まさにそんな一日だった。今年度の研究を推進するチームの第一回の会議。30分という短い時間の中で、新しく加わったメンバーに、昨年度までの学校構想と研究構想と顧客の実態をかいつまんで伝え、さらに今年度の方向性を示し、仕事の分担をしなければならなかった。話しながら、自分に何かが取り付いているような感じがした。迷いがなく明瞭に話すことができたと自覚していたけれど、大ボス、中ボス両方によかった、わかりやすかったと言われ、ちょっと嬉しかった。
この「おりてくる」感覚は、以前、別の研究をしていたときに、同僚から言われて自覚した感覚だけど、周りがどう思うか、のようなことを全部忘れた瞬間に来るようだ。計算や出し惜しみをせず、今自分がもっているものを全部つかってそこにいるメンバーと最善をつくそう、ということだけを考えているときに来るのかもしれない。
その研究がらみで、イーモバイルという端末を使う。つくはずの7桁の予算がゼロになったり、いろいろあり、当初の計画よりも縮小はされたけれど、懸賞論文を書いていただいた賞金で端末や無線LAN環境をちょこっと整備できるようになり、本日端末の業者さんと会った。
うちのような使い方をする人のために、新しい料金プランを作ってくれたそうだ。ほんのちょっとだけれど、ありがたいことです。そして、1月23日の発表会当日はデモ機を貸していただけるかもしれない。
昨日から朝7時に自転車で家を出て、ちょっと遠回りしながら近所の桜並木をめぐって出勤している。きょうも葉が出る前のピンク一色の桜をたっぷり味わった。
子どもの頃、学校の行き帰りに、振り返って眺めるのがお気に入りだったポイントがある。そこから見る風景は、いわゆる「絵になる」風景として写真も撮らない頃だったけど大好きだった。左右から張り出す桜の枝ごしに、踏切の表示がアクセントになっていて。
そこにも立ち寄ってみた。開かずの踏切、と呼ばれていたその場所は、今は、地下道ができていて、そのため周りも整備されてしまったので、うす桃色の花は相変わら美しかったけれど、黄色と黒のアクセントはなくなっていて、絵になる幹事は薄れていました。
川沿い、線路沿いをくねくね走り、最後は樹齢100年になる職場の桜並木をくぐり、仕事三昧の春休みの一日がはじまりました。
本日より新年度です。さて、今年度はどんなトシにするか、といろいろ考えていますが、いつものように手帳にやりたいことを書き出して、整理しています。
仕事上の大きなプロジェクトが今年度の最優先事項です。でも、春休みまったく日常を離れた遊びをせずにいたら、ちょっと行き詰まり感があるので、適度に遊ばないとだめですね。
今年度「時は金なり」時間をテーマにしたいと思います。
自分の記録のために毎日ブログを書く!
7時に家を出る。
オンタイム。
〆切を守る。
◆ テレビを見ていたら、おばかタレントが、今の気持ちを四字熟語で表して下さい、と言われて同じ言葉をあげていたのでちょっと・・・・
次の週末は南の島と風をはらむ船に思いを馳せながら海を見に行こうと思っていた矢先、モニターに訃報が。ローリー・イネステーラー氏が亡くなった。
1997年、初めてカヌートリップをした帰り、ホワイトホースの空港で見かけたのが出会いといえば出会い。その次の年も同じ空港で見かけた。そして、2000年(だと思う)まだ辻にあった沖縄カヤックセンターの2階で海旅を終えたローリー氏と朝方までビールを飲みながら、カヤックについて、海について、ユーコンの話をしたのを覚えています。翌日から海旅に出るわたしは、氏からカヤックトリップでの便利グッズとしてジップロックのタッパー型のものを教えていただき、さらに、シート状のビオレメイク落としがシャワーのない海旅の陸上生活を気持ちよくする、と使いかけをプレゼントされました。それからというもの、ジップロッックタッパーは私の持ち物の定番になっています。氏は翌朝早い飛行機に乗る予定で、寝ると起きられないからいっしょに飲もうよ、と誘われて楽しい時間を過ごしました。元気なおじさんでした。たった、それだけのご縁ですが、カヤックの先駆者的な氏のことは印象深くのこっています。心からご冥福をお祈りします。
友人が関わっている子ども向けのワークショップに参加してきた。クリケットという小さなコンピュターをプログラミングして、小さなモーターを2つ使ったおもちゃを作ったのだ。コンピューターのプログラミングを子どもでも簡単にできるようになっている。マサチューセッツ工科大学の教授が開発したものだとか。来年度のチャレンジ体験教室はこれにしようかな。今回は特別大人も作ってよいことになり、ひさしぶりに仕事じゃないことに没頭して集中する時間をもった。気持ちよい体験でした。私の作品もアップされるかも。
http://cricket.camp-k.com/
サカスに行ってきました。最新スポットのチェックにはまったく熱心じゃないのですが、赤坂ACTシアターのこけらおとし「トゥーランドット」を見るのが目的です。以前の面影がほとんどありませんでした。
芝居は物語が進むにつれてよくなっていく感じがしました。客席まで多用した演出もおもしろかった。岸谷五朗さんはかっこよかった。安倍なつみさんは、歌が上手でした。トゥーランドット姫の配役はいまいち。歌の時はいいけれどやっぱり日本語がね。なんで彼女にしたのかわかりません。衣装と色が物語全体の情景を象徴していたのもよかったです。
来年度は遠出できそうもないから、観劇がふえそうだな、と思う午後でした。
保護者との宴会(謝恩会)でついさきほど帰宅。やはりおわりよければすべてよしだったので、いろいろ話すことができてよかったです。そして、最後にもらったノートと、卒業式当日の受付で渡した(子どもが書いた)親へのお礼の手紙がいい肴になりました。全員の手紙を添削したので、内容もよく覚えていたけれど、やはり親を感動させることができたのだなあ。やってよかったと思いました。ほとんどのお母さんが年下だった。。。
体調不良でしたが、どうしてもやらねばならない仕事があり、ちょこっと出勤。そうしたらねえ、いろいろダメだしがありました。今作っている8ページのパンフレット。予算がないから、デザインからなにから自分たちでやり、ファイルで印刷屋に出す。フルカラーで図とか満載。内容を図で表すだけでも相当な仕事量なのですが、色やらデザインやらをwordで。なんとか完成させたけど、フォントが目立たないとか、インパクトがないとか、指導が入る。おまけに印刷してみると色がイメージと違っているし。だからさあ、こういうのは君たちが担当してよ。あたしたち、内容面でいっぱいなんだから。今まではそうだったよ。
きのうのは、二日酔いじゃなくて風邪だったようです。きょうは熱っぽく、仕事がたくさん残っているけれど休むことにしました。一日ごろごろ。胃腸が疲れているのがわかるのだけれど、お腹がすくので食べる。を繰り返し、また具合が悪くなる、という悪循環。睡眠不足だけは解消できました。
二日酔いの重い体で出勤。窓から見える桜並木が時間とともに華やかさを増すのを感じながら年度末の仕事をしていました。
卒業式後の余韻に浸りながら。
やっぱり、まちがっていなかったなあ、と久しぶりに思えた卒業式でした。
おれたち絶対泣くよ。センセーも絶対泣くよ。と言われていましたが、卒業に向けてまったくひきしまらない子どもたちに、イライラし、自信喪失する日々。
”今年の分のわたしの持ち合わせの涙は、もう全部使ってしまったので、君たちの卒業式では絶対に泣きません。そのかわり、一人一人が6年間の学びを精一杯表現している姿に感動したら、心からの笑顔で送り出します。”そう宣言していました。
◆ 今の職場の卒業式は、証書授与の前に舞台の上で一人一人が、将来の夢や中学生への決意の言葉を述べます。その後、在校生とのかけあいや合唱の入るよびかけ「門出の言葉」。この門出の言葉でだいたいやられてしまうのです。子どもたちに考えさせた言葉を整えて自分で作った台本なので暗記するほどなのですが、言葉に思いをのせられると、いろいろなシーンがフラッシュバックされてまっとうすぎる歌詞にとどめをさされてしまうのです。普通は。
◆ わたしは先頭で式場に入場し、全員が入場してくるのを迎えます。入り口の外で待機している8組は、相変わらず緊張感なし。春の日差しをあびながら、列の後ろからひょこひょこ顔を出して中の様子をうかがっていたり、ふざけあっていたり。この光景ももうこれで最後なんだなあ、と感慨深深く、入場し終わった一人一人の顔を見つめるとどの顔もくっきりはれやかで、やっぱりこの子たちが好きだ、と再確認できました。予行練習でもダメだしをしたよびかけも、本番はよかった。5年生の「中学校でもがんばってください!」という言葉をきっかけに泣き出す子が多数。何があっても声をはりあげなさい、と言ってあったのを守り、なきじゃくりながら歌う姿を見ると、ほんとうに嬉しくて心からの笑顔になって送り出すことができました。
◆ 式の後、教室にもどると、予想外に真剣にわたしの話を聞いてくれる8組。きょうからは、先生と生徒じゃなくて、人と人だよ。という話をし終わると、写真撮影に呼ばれました。「じゃ、背の順に並んで。行くよっ」と指示を出すと、サプライズがありました。いつもなら、たいてい子どもの不穏な動きを察知しているのですが、今回はほんとに期待もしていなかったし、びっくり。ノートに22人が1ページずつびっしりメッセージを書いてくれていました。誰が言い出しっぺだったのか、誰が写真をコピーして貼ってくれたのか、ほんとうに知りませんでした。いつ用意したの?と聞くと、Tが「きのう」と答えましたが、今朝、やっとじっくり読んでみて(卒業式の後は、会食→来年度用の教育計画という100ページ以上ある冊子を印刷製本する作業→退勤後は宴会、もちろんよっぱらい→バタンキューだったので)一日で全員が書けるようなものではなかったことは一目瞭然。味もそっけもない大学ノート。表紙に宛名も何も書いてない。でも、自分のページはみんなびっちり文字でうめてあるのです。自分の名前も書いてない子がいっぱいいるという、おまけつき。出席番号順で書いてあるっていう生真面目さ。ねらったわけじゃないと思うけど平成19年度の8組らしさ満載でした。ほんとうにありがとう!
◆ 桜を眺めながらパソコン打っていると、校庭側の窓に、もういるんです。うちのワルオちゃんたちが。早いんだよっ。もう来るなっ。担任も照れ屋で素直じゃないんだな。
とても幸せな気分の今日、やりきれないニュースがとびこんできた。板橋起った卒業生の自殺。(昨日は飲んだくれていたのでニュースを知りませんでした)詳しいことはわからないけれど、わたしと同じ立場の方のことを思うとなんと言っていいのかわからないです。前の記事に書いた「決意の言葉」で当日だけ練習とまったく違う内容、学校批判や君が代日の丸批判などちょっと大人がらみがにおってくるものにしてしまったという話は聞いたことがある。詳細が伝わってくるかどうか疑問だけど、なんでどうしてという思いだけがふくらんでくる。
古い日記に意味不明のコメントがたくさんつくので、非表示にしました。
TトとKナ、SコとMミ、Y子とYキ。
某「センセー、6年生の時つきあってる人いた?」
8「いない。あたしが6年のころは、6年生でつきあってるなんて人はいなかったもん」
某「へー。うちら、みんないるよ」
8「!?◯◯も?××も?」
◯「はい。」
×「うん。」
8「つきあってるって、なにするの?」
某「てぇつなぐとかー、映画行くとかー」
8「そんな大人になってからできることなんかしないで、小学生でしかできないことをしなさい。」
なんか、以前にも似たようなことを書いたなあ。
中学に行ったら恋愛がんばろうね、なんていうメッセージを交換しあっているのって、どうよ。
きのうは仕事というか趣味というか研究三昧。こっちでも責任と能力が問われる立場に。。。そういうトシなんだから、いいかげん腰を据えて、逃げずにやるしかないですね。ってことで、来年度のわたしの行動優先順位三位まで仕事と研究が占めることになりました。外遊はお預けかもしれないけれど、身近なところで自然や海や雪とは適度に触れ合いながらやりたいと思っています。
きょうは、家事を片付け、卒業式に着るものなど準備し、職場へ。机などを全部廊下に出してあるので、二度目のワックスがけ(一度目はおととい)。卒業文集の確認、卒業証書ホルダー搬入、校長室と玄関に卒業生からのメッセージなど掲示。そして、教室の黒板にメッセージを書き、一人一人の最後の国語の作品を見直して自分の保存用にコピーをとりながら無理矢理気持ちを盛り上げる。
その後、電気屋で布団乾燥機を購入。明日、袴の着付けのため母が泊まるので。出かける前にご飯をしかけておいたのに、電気店横にバーガーキングを発見してしまい、ふらふらと吸い込まれ、勘違いしてものすごくでっかいテリヤキワッパーを頼んでしまいました。
明日は修了式。卒業式は明後日。
これも仕事ネタ。
小学校卒業にあたって、この先10年の自分を支える漢字を一文字選ぶとしたら?という学習をした。もちろん教科書にはないオリジナル単元。まず、10年後の自分をイメージさせる。そして今の自分を見つめ直し、その2つを結びつけて、どんな努力などが必要か、自分のよさをどう活かせるかなど考えさせる。これらは、ウェビングで表現させました。そして、この先10年の自分を支える言葉(ことわざ、詩の一節、歌詞、ドラマのセリフ、熟語、などなんでもよい)をいくつか挙げさせ、その後で、漢字一文字に集約するとどんな文字になるか考え、漢字3つにしぼります。その後、その三文字について、成り立ちや意味を調べたり、それを使った熟語を調べたりしながら一文字にしぼっていき、最後は、書で表現しました。書体字典から、気に入った書体を選び、地域の方の協力を得て、お習字の先生にその書き方を習い、好きな色で書く。かなりしつこく、こだわった単元だったので、さらに「10年後の自分へのメッセージ」といった形でエッセイのような作文を書きました。家庭科で額を作り、書とエッセイを入れて完成。個人的な内容なので全員分をまとめて文集のようにはしませんでしたが、ワタシの分だけはコピーをとりまとめました。改めて読み直してみると力作ぞろいです。こんなに一生懸命習字を書いたことはなかった、とか、くじけそうになったらこの字を思い出してがんばりたい、なんていうのを読んでいると、いつまでたっても本気にならないことにムカムカしている気持ちも忘れて、かわいいなあという気持ちが湧いてきました。10年たって彼らが集まるようなことがあったら、持参しようと思います。しかし、この盛り上がりのなさでは、同窓会なんてないかもしれません。(悲)
仕事は追いかけるべし。なのですが、もう完全に追いかけられています。卒業式が25日。なんか、終わりっていう感慨のようなものがまったくないです。卒業生を出すことに慣れてしまったとも思えないのだけれど。うってもうっても響きが返ってこないのです。空しさに泣けて来た事数回。だから、今回の卒業式は一滴の涙も流しません。卒業式で流す予定の涙はもう使ってしまったからね。
何年か前のような、熱い思いを共有しようというイメージを捨てないと、今の子どもとはうまくやって行けないのかもしれません。
来年度までの大きなプロジェクトのことを考えると、春休みも真面目に毎日出勤。でも気分転換は必要だ。たぶん運動不足。頭ばっかり働いていてぐるぐるしてます。これ、わたしの悪い癖です。滑走日数4日が象徴しているなあ。何も考えなくなるまで体を使う計画を立てなければ。といいつつ、この終末もお仕事関係でうまっている。12年に一度の幸運期って。。。。。。。。ほんとなのか!?
日記を更新していないのにアンテナ上で動いているというのは、過去の日記にスパムコメントがあったのだと思います。ミクシでチェックするとその事実がわかるのだけれど、最近はミクシに更新履歴がないのに、アンテナ上で更新されたように動いている。。。スパムコメントが見えないだけ?なぜ?どなたか何かしてくださっているのでしょうか?
最近の学校などの集団での反社会的な行動などの問題のキーワードはこれなのではないか。身近な所で起っている小学生の問題でよく聞いていました。何人か集まると、自分の真意とはちがう行動をとりお互いに歯止めをかけられず、周囲に迷惑をかける行動をとり続ける。一人一人と話をすると、きちんと善悪は分かっているし、こちらの話を受け止める心ももっている。決して悪い子ではない。「一人一人はみんないい子なんだよねー」という言葉は本当によく聞く。
昨日テレビをつけていたら、中学生が逮捕されたニュースへのコメントとして家庭裁判所で調停員をやっていた人がまったく同じコメントをしていた。これは、今の社会問題のキーワードかもしれないと感じた。
乱暴な言い方をすれば、一人でもつっぱっていて、わがままではあるけれど主義主張があって悪さをしていた昔のワルとは違うような気がする。雰囲気に流されてなんの意思もないのにただなんとなくやっているのが今のような。
さて、きょうも仕事だ。
ばいばい、またあした!